6-2.CL式レセプション

2017/9/21 更新

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このサイトでレセプションの解説をしてしばらく経った頃から、このサイトで解説しているレセプションの解釈方法(JF式)は伝統的な方法(CL式)とは異なっていますよ、という指摘を度々いただくようになりました。
朝比奈はJF式から勉強をスタートさせていたので、てっきりレセプションはJF式しかないものと思っていましたが、レセプションの解釈方法はJF式だけではありませんでした。昔は異なる解釈方法が使われていたようです。そして、多くの人から、この方法が伝統的な方法として支持を受けています。
レセプションのページでも少し触れましたが、現在、クラシック占星術を実占する人のおよそ8割の方がCL式のレセプションを、2割くらいの方がJF式を使用していると思います。
CL式とJF式のレセプションは解釈方法が異なり、その結果として解釈が反対になることもあります。
JF式と比較しながら、CL式を説明していきましょう。

CL式のレセプション

【CL式のレセプション】
 ・条件 : ある天体が、現在いるサインのマイ・サインかイグザルテーションの支配星とアプローチしていること
 ・意味 : マイ・サインかイグザルテーションの支配星が、その天体のために振る舞う、或いは受け入れる

JF式では、例えば「彼とつきあえる?」という相談で、月(アスカー)と太陽(彼)の関係を考える場合、月と太陽それぞれのレセプションを考えました。
月がしし座にいて、太陽がいて座にいる場合、アスカーは彼が好きで、彼はアスカーに特別な好意はないみたい、と判断できます。
一方CL式では、太陽(彼)が月(アスカー)を受け入れるかどうかは、月が太陽のマイ・サインかイグザルテーションにいるかどうか、から判断します。
ここがJF式を学んだ人にとって最も混乱しやすい場所です。
CL式では、彼(太陽)の態度(=受け入れるかどうか)は、月(アスカー)のサインから判断するのです。
もし、月が太陽のマイ・サインかイグザルテーションであるしし座かおひつじ座にいれば、CL式では、太陽はマイ・サインやイグザルテーションのような強いサインで月を受けているわけだから、月を受け入れるだろう、と判断します。
ここでは月はしし座にいるので、レセプションが成立している(太陽は月を受け入れる)と判断し、つき合えるだろうと判断します。

ここで重要なことは、CL式は太陽と月の気持ちについて特に言及していないことです。
レセプションになっていれば「太陽が月を受け入れる」としか言っていないわけで、JF式に馴染んでいると、あれ、二人の気持ちはどこいったの?という感じですが、これがCL式のレセプションの特徴です。
ただ、常識的に考えれば、「受け入れる」というのだから、ここに太陽からの「好き」という気持ちを見いだすことになるでしょう。
月の気持ちについては不明ですが、例えば月がアスカーを表しているような場合、好きでないなら相談をするはずもないので、月は太陽が好きということは、アスカーの話を元に、暗黙的な前提になるのかもしれません。

話を戻しましょう。
この時、CL式では、月がしし座にいるだけではレセプションとしては弱く、月と太陽がアプローチしていることが補強のための条件として求められます。
これはたぶん、アプローチしていることで出来事が起こる可能性が上がるでしょ、という意味ではないかと思います。

トリプリシティ、ターム、フェイス

CL式のレセプションの説明の中には、「マイ・サインかイグザルテーションでなくても、トリプリシティ、ターム、フェイスのうちの2つのレセプションがあれば…」という記述が登場します。
トリプリシティ、ターム、フェイスのレセプションは、どれか1つだけではレセプションとしては弱すぎるけれど、このうち2つのレセプションがあれば、マイ・サインやイグザルテーションと同様の強さのレセプションを持つよ、という意味です。
ただ、この考え方は支持するかどうか意見が分かれているようです。
CL式のレセプションはマイ・サインとイグザルテーションだけ、と考える人も少なくはないようです。

デトリメント、フォール

この二つについても意見は分かれているようです。
JF式と同じように否定的な意味を持つと考える人もいれば、何も言及しない人もいます。
否定的な意味を持つと考える人たちは、デトリメントとフォールはマイ・サインとイグザルテーションのレセプションよりも強い意味を持つと考えるようです。
例えば、月がしし座にいて太陽にアプローチしていたとしても、もし太陽が月のフォールであるさそり座にいれば、太陽は月の要求を拒否し、良い結果にはつながらないだろうと解釈します。
言及しない人たちは、これらには特に意味はないと考えているようです。

この二つは悪いレセプションに該当すると思いますが、昔の文献を読んでいると、CL式ではレセプションと言えば良いレセプションだけを指しているようです。
「レセプションになっているなら良い結果に、レセプションになっていないなら悪い結果になるだろう」、という説明にしばしば出会います。
これは恐らく、先に説明したようにCL式ではレセプションという言葉が、「受け入れるかどうか」という意味で使われているためではないかと思います。
・レセプションがある=受け入れる
・レセプションがない=受け入れない
このような図式になるため、「悪いレセプション」という言葉自体が存在せず、「レセプションがあるかどうか」という説明になるのでしょう。

ペレグリン

ペレグリンについてCL式では言及されないようです。
おそらく、レセプションがないからよくない、という扱いになるのでしょう。